ToshihikoKobayashiをみつめて
還暦を過ぎ 益々の活躍を続けている 『小林俊彦』を
作品以外の方向から 探っていこうと ジャンルを 設けてみます
なぜ このような人を惹きつける魅力ある作品を描くことが出来るのか
まるで 森のくまさんのような穏やかなひとがらの どこに どんな
日々の暮らしが、、、
おそらく 常に研ぎ澄まされた気付きのスウィッチがあり ちょっとしたまわりの変化を
見逃さないのではないだろうか
そして このエネルギーは 温かい優しい家族のもと 仕事 制作 魚釣りなど
生かされている時間を 大切に切り替える才能が支えているのではなかろうか
もうひとつ 自らの生かされている どうにもならない自然をこよなく愛しているのかもしれない
まずは 兵庫県龍野市新舞子の綾部山に登ってみた
思わず なるほどと納得してしまう素晴らしい光景が眼下に広がる
早春のまだ少し寒い風に吹かれて 梅の花びらが舞い落ちる
少し遠くを眺めると 菜の花が 春の訪れを告げている
瀬戸内海の穏やかな波に 日差しが刻々と光の世界をもたらしてくれる
しっかりと 街並みもあり これこそが、、と感じて見入ってしまった
この写真は 絵画を描くヒントとして 日々気になる ❝今しかない❞ 自然の移り変わりを
逃さない 画伯の緊張感のひとつではないか
薄っぺらいキャンバスに描かれた作品が ❝生をうけ❞ ❝熱をおび❞ 見る人に感動を与える
観ている人を いつまでも作品の前に 釘付けにするにはどうすればいいのだろうか
きっと 作品に 作者の魂を住まわせることだろう
Toshihikoの作品の中の「北緯31度59分20秒東経128度21分7秒」という題名に目が留まった そもそも ほんの数文字で書かれているキャプションの題名には作者の想いが詰まっているはずだ そこで Toshihiko本人にぶつけてみた
そこには 壮絶な人間ドラマが 隠されていた
38年前からの親友と30数年前に 二人で
釣りクラブを立ち上げた それからずっと
年に一度 冬の荒波に竿を出しながら
語り合ってきた
身の丈よりも高い波が磯にあたってくる
一歩間違えれば 釣り人をあっという間に吞み込んでしまう
そんな自然の厳しさと対峙しながら
激しい波しぶきを被りながら磯で闘ってきた
この命をかけた釣り そのものにも 彼の
生きざまを感じずにはいられない
3年前に帰らぬ人となった親友と
年に一度 魂の再会を続けている
誰にも聞こえなくても 二人は 想いを語っているだろう
そんな想いが この小さな作品に詰まっていることに 心が 震えてしまった
『潮待ち』
細密な作品の中に 空・海・船だけ
しか描かれていないこの作品
思わず 足を止める
じっとみていると 自分の心が
そのまま 画面に映し出されてくる
仏様を拝んでいる時のように思う
今 世の中がこのような状況で Toshihikoは どんな日々を送っているか 無性に気になって こっそり アトリエを
訪問してみた
淡々と 同じように キャンバスに向かって 絵筆を動かしていた
『潮待ち』の作品から 観る側に 心の中をじっくりとみせつける何かのエネルギーを
もたらすのは この日々にあるのではと 思った KOKOROで描くと 人の心も動かせる
まさに今 世界中が潮待ちだ ただじっと 待つしかない日々
真っ暗な中にほんの少しの光が差し込んでくるのを ただ ただ じっと待つ
Toshihikoを見習って辛抱強く 我慢しようと アトリエを出た
Toshihikoの技法も 細密な作品へと また少し 進んでいた